dylan...

ninarojo2005-12-20

ディランのドキュメンタリーが今週末に見れるということで、もう異様というしかないような興奮状態にいる。。
見る前からこんなにドキドキしていていいのかとは一応思うものの、部屋の電気を消してオレンジ色のライトをつけかえ、初期のディランを聞き直したりしながら涙ぐんじゃったりなんかしてガッツポーズしながらわんわんやっちゃうくらい、本当に他人が見たらヒクような(読んでるだけでもヒキますね...)、そんな状態にいるのだから困る。

でも予告冒頭の言葉からしてマブすぎるので仕方ないといえば仕方ないんです。「私は間違った場所に産まれてしまった。だから故郷に帰るんだ」・・・・泣く!!!それでもって、「フォークミュージックはすべてをさらけだしていた。実際にどう生きていけばいいか、そこから学ぶことができた。そしてそれが私の歌いたいものだ、それが歌いたいものなんだ。」と!!もう嬉しすぎる言葉なんですが。。ぐしぐし

多くのミュージシャンは歌うことによって自分を伝えようとする、と自伝にて本人が書いておられましたが、まさにディランの音楽というのは、予告その後に彼自身が言う「それまで誰も知らなかった芸術的な発見をしたんだ。たとえそれが間違っていたとしてもね」という言葉に表されているといってもいいようなもので、それは自身を疑わない傲慢さでもなんでもなく、彼の音楽がそこらへんに易々と存在するような”傍観者”からの立場のものではない、彼だからこそ成り得た”諦観者”という視点故に成り立ったものだからこその発言なんだと思うんです。
真実や永遠、という言葉はすごく曖昧なものではあると思うのですが、例えばランボーが手に入れた永遠だとか、彼の音楽に魅了されるとき、私はそれとすごく近いものを感じるわけです。(私の場合ほんとうに愛おしんでしまう音楽というのは、実際これがよく当てはまるものです)それだから、ディランそのひとが見聞きし手にした様々なものを、彼が消化した結果、それが少なからず真実や永遠というものとイコール、もしくは”それへ辿り着くもの”としてあるような気がしてなりません。あふー