No Direction Home

No Direction Home [DVD] [Import]

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220分もあって途中休憩があったりとやたら長い割に、期間的に見ると66年にツアー活動を停止するまでの本当に最初の方だけという印象で、なぜそれを二部に分けたのかちょっと疑問も残るとこなのだけれど、おそらくパンフレットの監督のインタビュー通り当時起こったことを出来るだけ盛り込ませようとしたら多くなりすぎてしまったという、そのまんまの結果なんだろうと思う。もともと監督はディランのその頃までの膨大といってもいいような映像を渡されてそれをまとめてほしいと頼まれたようだし、あれもこれも入れたい!という感が全編にわたって感じられて、ファンとしては嬉しかったしそれはそれでおもしろかったけれど、ドキュメンタリー映画のまとまりとして二部に分ける必要があったのかどうかは・・・(ひつこい)

イギリス公演での、ディランがエレキを手にしバンドと一緒にプレイするシーンで始まり、そのシーンで終る。のだが、驚いたのはファンのリアクション。前半のフォークでは多いに喝采するくせに、エレキに変えた途端すさまじいブーイングの嵐。聞いてはいたけれど、まったく信じられない光景だった。少なくともディランの音楽を聴いていた人間があそこへ行ったはずなのに、彼の音楽を純粋に聴いていなかったとしかいいようがないあのガキはなんなのだろうか。(純粋に聴いていたのならば、同じように拍手喝采していいはず。)特にザ・バンドがバックバンドを勤めているステージにケチをつけるなど、彼らのライヴへ足を運ぶ人間の姿勢か!と怒りたくもなる。エレキに変えた途端「僕らが見に来たのはポップグループじゃない。ゴーホーム!」て、、おまいらこそ帰れや、と40年前の若者に毒づいたって仕方がないが、でも、でもである。ディランの横にいるのリック・ダンコだぞ!君わかってるのか!と言いたくなるのはもはや致し方がないことで。こっちは羨ましさと感激で身が千切れる想いだったというのに・・・。だってリックダンコ!団子!・・・。自分としては今まで見た事のない映像をことどとく見せられたものだから、始終興奮しっぱなしだったけど、特にぐっときたのはフォーク・フェスティバルでジョーン・バエズと共演する姿。めためた若くて異様なくらい新鮮だった。キング牧師のあの有名な演説があったワシントン大行進で歌っていた映像も初めて見たし、ジョニーキャッシュと歌うとこなんかもあって、それはそれは豪華。でもー、それなら楽屋にいたリックダンコとロビロバートソンとの会話シーンとか、あってもいいんじゃないか。。

ここに出てくるディラン以外の人のインタビューはだいたいが「あの時代故に」というものも含んでいる。所詮私は後追いなので、リアム・クランシーやメイヴィス・ステイプルズが語ったあの頃を振り返っての言葉など、私の思い入れなどとは随分と遠いところにあって、決して共感できるなどとは言えない。(熱くさせられたとしても)

彼らと多少違う次元で自分がディランに魅せられていたのは、当然といえば当然だし、あの頃を知ろうとしたって、それは決してあの頃と同じようにはいかない自分としては、ここで見せられる何もかもが、ともすればただのドキュメンタリーにしか見えなくもない状況の中、そこに未だ魅力的すぎる有効なものを残しておいてくれたのは、当たり前だけど、やはりディランその人だった。時代が変われば歌詞の意味や受け取り方が変わるのも当然だと言い放ち、驚くほどにあっけらかんにいろいろを語る彼の姿がああも見れるとは思わなかった。そして、時代背景どうこう抜きでこの映画を見たときに、初めてこの映画の言わんとすることがよりはっきりと見えてくるのではないかと思う。

正直言うと、この映画の骨のところを、理解したなんて言いたくないし、中途半端に今私がわかってるような振りをすることじゃ決してないし、言葉や頭ではわかっても、実感するだとか、そんな背伸びしてたまるかと思う。No direction home、でもね、ってのは、わたしがずっと欲しがってる「どこか」で、それがどこにあるかそれがどこに続くかなんて、あー言わないでくれよ、なんて。なあ。

きっとまた見返すだろうから、その度に痺れてればいい。ディランの見たものを、私だって、どんな苦労したって見てやると思う。カートじゃありえないことって、こういうもんかもしれない。ここらへんはあれだ、やっぱり「リヴファースト、ダイヤング!」で得られないものだと思う。どっちも好きだけど。(私はもうヴァージンスーサイズ適例期過ぎてることだし。)やっぱり一生師事させてもらいます!<ディラン 敬礼。